いろんな事情を抱えたサラリーマンやOLが、今日も職を求め介護業界にやってきます。
最初はみんなキツイとか人間関係が最悪とのウワサにビビッていますが、結構な確率でこの業界にハマってしまうのはご高齢者様と交流があるからではないでしょうか?
私も長年サラリーマンやってきましたが、普通に仕事しただけで「ありがとう」がもらえるここは心地いい世界。
そんな中、夢と希望を持ちながらも、持病が悪化して介護職を続けられなくなったひとりの男がいました。
目次
仕事はきついがやりがいある介護に夢と希望を託した男
現在44歳独身の山本と申します、男性介護士として以前は10年ほど特別養護老人ホームで働いていました。
私は老人ホームに入職した当時から、夢と希望を抱いてこの世界に入りました。
実際、キツいことや人間関係もありましたが、こういう悩みってどこの世界でもあることじゃないですか?
世間やメディアは、さも介護士だけがキツい仕事をこなし、介護業界だけ人間関係が最悪の世界って報道を繰り返しますが、実際やってる私たちは誇りを持ち、やりがいをもって楽しく仕事をしているんですよね…
マジで偏見報道は辞めて欲しいものです…。
そんな私も、持病の腰痛が悪化して泣く泣く退職、現在はとあるコネを利用して転職した建設会社で総務をやっています。
特別養護老人ホームは忙しい施設の代名詞ですが、私がいた施設も忙しく仕事あがりには体がクタクタ、唯一の楽しみが仕事帰りに近くの銭湯で浸かる風呂でしたね。
オッサンかよ!
仕事はキツいことも多かったですが、それ以上にやりがいを感じることができたのが、1年を通して行われる、新年会や、お花見大会、夏祭り、クリスマス会。
仕事なのに、これが楽しいんだよ!
世間一般から見た私たちは、排せつや、食事、入浴介助だけやってるイメージですが、実はこれらの催し物は介護士の重要な仕事のひとつ。
私たちの他に事務職や設備係、ドライバーさんや調理士さんも混じって盛り上げる催し物です、決して私たちが主役ではありませんが初めて任された敬老会は特に印象に残っていますね。
それまでの私は、他のメンバーの意見に従って指示されるだけの職員でしたが、初めてプロジェクトリーダーを任され緊張と不安が入り混じっていました。
敬老会は、老人ホームの中でもっとも大きな行事のひとつで、ご入居者様以外にご家族様も多く来られる大きな催し物。
正直プレッシャー以外なにものでもありませんでした。
忖度しないご入居者様を喜ばせた時の感動を忘れない
従業員一同盛り上げた敬老会が、ご入居者様やご家族から「楽しくなかった」って烙印を押されるのは嫌じゃないですか?
だから普段険悪な職員や、あんまりヤル気のない職員も、この時ばかりはと手に手を取って最高の催し物にせんと盛り上がるんですよね。
この一体感は何?
ちょうど、高校の学園祭で盛り上がったあの感覚でしょうか?
メンバーの役割分担だけでなく、シフト調整や、サプライズプレゼントの手配、飾りつけ…何か漏れはないか?って考えると、今まで大役を任されたことがなかっただけに不安で夜も眠れません。
でも、みんな「ご入居者様を喜ばせたい」って思いは同じなので、あーでもない、こーでもないって仕事が終わってからも多目的ホールでガヤガヤ。
ご入居者様の多くが、毎日代わり映えのしない毎日を送っています。
もちろん、いろんな部署のいろんな人がご入居者様を飽きさせまいと、季節ごとの催し物を企画するんですが、建前ではなく本音で喜んでもらえるのがやりがいを持てる一瞬。
でも、それはご入居者様から「本当に楽しかった!またお願いね!」ってお褒めの言葉をかけてもらえた時のみなんですよね。
あまり言いたくないのですが、全然老人ウケなくてシラケてしまった催し物も過去にはありました。
途中で寝ちゃう人はいるにしても、ウケが悪いと途中で帰っちゃう。
トドメはご意見箱に「今年の催し物は全然面白くなかった」と鬼みたいな数のアンケートが入っていたり…。
ご入居者様は、いい意味でも悪い意味でもまったく忖度しない人たちです。
だからこそ、私たちは絶対楽しんでもらえる敬老会を開催しようと真剣そのものです。
初めての大役ってこともあり、装飾自体も手作りですが超こだわって、少ない予算の中ではありますが、過去最高の出来だったんじゃないかな?って思えるぐらい。
当日は、努力の甲斐あってか皆さん喜んでくれて、最後の合唱タイムには涙されているご入居者様もいたりして、こっちも感極まってしまいます。
片付けが終わると、ひそかなお楽しみの職員だけの打ち上げパーティ。
この時の一体感は今でも忘れられません。
持病が再発し介護職を続けられなくなった男の悲劇
そんな楽しかった介護士人生も、持病が悪化したことで突然幕をおろします。
私の退職理由は、学生の時に痛めた腰痛が悪化して、ある日突然職場で腰に痛みが走り起き上がれなくなってしまったから。
介護する側が介助され、救急車に乗せられ近くのクリニックに搬送される前代未聞の事件を引き起こしてしまいました。
近くのクリニックに運び込まれ診断されたのは、学生の頃に患っていた分離症は学生の時にかかって気付いたら治っていたのですが、お医者さん曰く、それが介護のお仕事を通じどんどん悪化していたらしいのです。
有給休暇を使って2週間ほど休ませてもらいましたが、職場復帰しても腰の痛みが消えることはありません。
腰痛防止ベルトを使えば何とか腰に負担を仕事を続けられるだろうって感覚でしたが、私の考えは浅はかだったようで、痛みは消えるどころかどんどん強くなっていきます。
施設のセンター長も「できれば仕事を続けて欲しい」と事務職のポストまで用意してくれましたが、いかんせん普通に歩行ができない私は、同じように座ってパソコンを叩く姿勢も取れません。
他の職員に迷惑をかけているのは重々承知しながら、おかしな姿勢でデスクワークを続ける私は、なんとか分離症を治して職場復帰したい思いしかありませんが、腰の痛みは日に日に増していき、ついに自宅のベッドから起き上がることすらできなくなってしまいました。
退職を決意した日、私はベッドの上で男泣き。
退職後、傷病手当金がもらえ1年6か月ほど休養できましたが、私にも家族がいますから、なんとしてでも再就職を果たさなければなりません。
ここから私の地獄の再就職活動が始まりました。
ブランクがある40代は転職活動で相手されず絶望した
再就職活動を始めたものの、1年6か月のブランクがある40代のオッサンを雇ってくれる企業はどこにもありません。
さすがに介護業界ではやっていけないと踏んだので、40代が未経験でもチャレンジできそうで腰を使わないデスクワークを探しましたが、現実は厳しかった。
介護業界に入る前は、総務経理職として腕を振るった私は、10年ブランクはあるものの給与計算だけでなく会計ソフトも使えますし、財務諸表もちゃんと読めます。
それでも、応じてくれる会社はひとつもありません。
転職サイト経由で応募しても「お祈りメール」の嵐で、転職エージェントでは「何しにきたの?」って嫌味を言われまくり、ハローワークでもうちに頼られても的な対応に情けなくも、昔患った腰痛をマジで恨みましたね。
唯一登録してくれたリクルートエージェントの担当から、「コネとか縁故はないの?」とか「非正規の道も視野に入れた方がいい」ってアドバイスをもらい、自分は世間では必要とされていないんだなと実感。
転職のプロが言うんだから、派遣会社にでも登録するかと諦めていたら、なんと元同僚から「仕事を探しているならいいのがあるぞ」って連絡をもらい、指定された喫茶店に行くとそこには見慣れた顔が。
そう、そこに座っていたのは、とあるご入居者様のご家族様。
「事情は聞いてるから、うちで事務職を任せたい」というのです。
こういうのって公私混同って言うんでしょ?何だかお涙ちょうだいしてしまったみたいで、気が引けていたら「施設長にも話は通してある」「一生懸命母の世話をしてくれた恩返し」と言われた時、私は再び男泣きしてしまいました。
介護職を辞めた40代が再就職でめちゃめちゃ苦労した話
- リスト1
- リスト2
- リスト3
- リスト4
- リスト5
ご入居者様だけでなくご家族様を大切にしていた彼だったからこそ、成し得た転職しでしたね。