性に合っていた仕事をやむなく辞めなければならない時ほど、辛いものはありませんよね?
病気や自身の家族の介護のため、泣く泣く職場を去る介護職は皆さんが想像する以上に多いのが現状です。
介護業界では、腰痛と不眠に悩む職員が大勢いますが、腰痛が悪化してしまうと経ってるのも辛い状況に陥ってしまいます。
私もかつてベッドから起き上がれないぐらいの腰痛に悩まされた1人なので、その辛さは痛いほど分かります。
目次
仕事で酷使した腰が限界を超え泣く泣く介護業界を去った
こんにちは!慢性的な腰痛に悩まされるようになり、現在はセラピストとして仕事をしている山本と申します。
10年間介護業界で働いてきました。
その中には特別養護老人ホームやデイサービス認知症のデイサービス、グループホーム、訪問介護などいろいろな経験をしてきました。
介護職はやりがいがあって毎日時間があっという間に過ぎて行きますが、重度の方を抱えると自分の体を酷使して働くことが多い職業。
その上、不規則な勤務のため体を完全に休めて回復することが難しくなっていきました。
気持ちはまだまだ動ける状態でも、腰が痛くて起き上がれないことが1ヵ月に1〜2回起こるようになりました。
何とか整体に行ったり、接骨院で鍼をしてもらったりテーピングを巻いてもらったりしたのですが、もう体はヘトヘト。
年齢は若いのに、肉体年齢は確実に老化。
年数が上がっると、役職もついてきて給料面も上がっては来るのですが、その分プライベートの時間はどんどん減っていきます。
友達と会う時間もなかなか取れず、旅行に行っていても部下から電話がかかってくるようになりました。
役職があるとこのような事は当たり前ですが、自分はプライベートと仕事を混同する事はめちゃめちゃストレスに感じてもういっぱいいっぱい。
そんな生活を何年も続けていくうちに、とうとうかかったことのないインフルエンザで倒れてしまいました。
それだけならまだしも1ヵ月もしないうちに、ノロウィルスに感染してまた倒れてしまう私。
もう心も体もストレスで限界に来ていたんですね。
まだ若いうちに役職に就いたので、私の部下は経験のある年上の女性たち。
トップから課せられたことや、施設の方向性を改革していこうにも、部下の女性たちの考えとぶつかることもしばしば。
今思えば若い自分にはまだ浅い考えしかなかったのですが…
そんなこんなで、結局このまま長く続けていても体は痛いところが増すばかりで、私自身もいつか心が潰れてしまいそうでした。
もうこんな事から解放されたい、そんな思いでいっぱいでした。
それが転職を考えたきっかけです。
40代未経験者でも他の業界で通用するのか心配した
私が他の業界に就くにあたり心配したのは、年齢。
これから目指す若い人たちがいっぱいいる中で、自分が負けないように仕事をしていけるのかどうかその辺はさすがに心配でしたね。
ただ、介護を長くしてきたので人との接し方には自信がありました。
介護では長年続けてきていたのでそれなりに安定した給料が入っていましたが、途中で全く経験のない仕事に転向するってことは、20代の若い新入社員と同じ条件に逆戻りじゃないですか?
私がしたい仕事は、介護業界とは違い、まず実績を作っていかなければ給料も上がらない世界です。
介護職だったらそこまで難しくありませんでしたが、実績と顧客獲得と言う競争の仕事のスタートラインに立つ状態。
これまで一人暮らしをして優位にしていた私が、いきなり初任給少なめの未経験で生活のレベルを下げなければいけない状況はさすがに辛かったですね。
少しぜいたくな生活に慣れてきていた自分が、修行僧みたいな生活に慣れることができるのか?そこが1番自信がありません。
ただ、好奇心だけは人に負けない自信がありました。
そのため、私はこの世界でも選ばれる人になりたい、評価されたい、と強く願いました。
年齢的なハンデも、介護の世界で培ってきた忍耐力や人の話をちゃんと向き合って聞く姿勢、人生経験、こういうことで必ず払拭できると信じていました。
ただ、私の年齢で介護職からセラピストに転職する人には、これまで出会ったことがありませんが…。
転職サイト経由の求人に応募し理想の人物像をアピール
自分の年齢でもできる中途採用の募集を、くまなくチェックしまくりましたね。
私が主に活用したのは。リクナビとマイナビ。
パソコンを使って何でも調べる習慣がついていたので、自分の住んでいる地名とやりたい仕事と求人を検索ワードに入れたら、いくつかの候補が出てきました。
他の業界に転職をするとしたら、ある程度ハードルが高いことは条件。
誰でもが気軽にエントリーできて、なおかつすぐ仕事にできるのであれば、それほど巷に溢れているってことですよね?
どうせ転職するなら、少し厳しい世界に身を投じたいと思ったんでしょうね。
なので、手段としては検索ワードから出てきた施術関係の会社の中から、そこそこハードルの高い会社にばかり応募。
応募したはいいけれど、そこが雇ってくれる確率がどれぐらいあるのか?も少し心配な点ではありました。
きっと私以外にも何人も募集があって面接をしているはずですよね?
その中で生き残ろうと思えば、やはり雇いたい人物像を印象付けるアピール方法が効果的。
私は介護職での経験を猛アピールできます。
自分があちこち体が痛い時にマッサージの人に優しくほぐしてもらったことで、心も体もすっきりとしてまた仕事頑張ろうと思えますよね?
私は清拭や洗顔など身綺麗にしてあげたり、体をさすってあげることが得意でお年寄りからも喜ばれていた経験を話しました。
人との交流をちゃんとしてきた人、誠実に人と対応できる人、と言う印象をしっかりとアピール。
結局私以外にも面接を受けた人がいましたが、2人とも採用されました。
後で聞いた話にはやはり接客業なので、笑顔が良くて話していると優しい気持ちになれたのが採用された理由。
もう一つは、転職後は厳しい研修が待ち受けているので、それに耐えうる精神力のある人を採用したそうです。
介護のお仕事はキツかったけど、どこにいっても通用する人になってたんだなぁ。
お年寄りの最後に立ち会える介護のお仕事は貴重な存在
私は、人生は何でも経験してみるもんですよねってアピール。
その中でも介護のお仕事は、お年寄りであり障害を持っていたり、認知症があったり、天外孤独だったりそういう社会的な弱者にたくさん出会い、出会った分だけ必ず別れも来てしまいます。
介護のお仕事は、お別れがものすごく早い仕事なんですよね?
さよならと言って帰っても、次に出勤したら生きて会えるかどうか分からないのです。
生まれてくる赤ちゃんを見る仕事よりも、亡くなっていくお年寄りを見ることの方がはるかに多いじゃないですか!
赤ちゃんは希望に満ち溢れていますが、お年寄りは人生の終末期。
過去の経験の中で生きている方も多く、早く死にたいと言う方もおられ、ひとりひとりの家族構成は仕事、生きてきた軌跡を私たち介護職員は垣間見ることになります。
そして最後の時を迎え息を引き取る時、この人は最後まで生きたんだなぁと感慨深い思い出いっぱいになります。
短くても共に過ごした時間がとても貴重。
特に、戦時中を生き抜いた人の話は、生きて出会えたことが奇跡そのものです。
仕事を通じてたくさんのお年寄りの人生の話を聞く事は何よりも財産、今自分には無限に時間がありますが、過ぎてしまえばあっという間だと皆さん口を揃えて話していたんですね。
その言葉を胸に、急にお別れが来るかもしれない、そう思って暮らしていくと、毎日ある出来事や毎日出会う家族の顔や、時々連絡する友人や、めったに会えなくなったらおじいちゃんおばあちゃんの事を、とてもいとおしく思えるようになりました。
それが、介護職で培った私の経験です。
腰痛が原因で介護職を辞めたセラピストのケースまとめ
- リスト1
- リスト2
- リスト3
- リスト4
- リスト5